神戸に来て、初めての春を迎えています。

マンションの敷地内には意外と緑が多く、チューリップや水仙にモクレン、ツツジ。

色とりどりの花が咲き乱れていて、歩くたびに心を癒してくれます。

そんな中、垂水の街を歩いていて、ふと気づいたことがありました。

庭から消えた、春の風物詩

そういえば、春の風物詩である「つくし」を全く見かけないな、と。

九州にいた頃は、毎年当たり前のようにあちこちにつくしが生えてきていました。

実家に庭にも生えていたくらいで、親が「つくしの佃煮」を作ってくれたのも良い思い出です。

そんな「庭につくしがある風景」が、自分にとっては日常でした。

田んぼの畦道に生えている土筆

けれど、ここ垂水にはそれがない。

もしかすると、田んぼのあるエリアまで行けば生えているのかもしれません。

ただ、今の生活圏にあるのは、海と、お店、そして坂道だけ。

「ああ、自分は海のある町に来たんだな」と、改めて痛感しました。

街のイオンの駐車場にさえ、実りがあったあの頃

九州時代を思い返すと、本当に至る所に「実り」が溢れていました。

家から車で5分ほどの場所にある、街のイオン。

その駐車場の植栽にさえ、ドングリの木が当たり前のように植えられていて、季節になればたくさんの実をつけていました。

買い物ついでにドングリを見つけるような、そんな自然と隣り合わせの暮らし。

柿の木、栗の木、みかんの木が当たり前のように視界に入り、新しい芽吹きで「春が来たんだな」と実感する。

そんな大地の実りがすぐそばにあるリズムが、私の知っている日常でした。

たまにですが、なんと雉(キジ)を近くで見ることもありました。

「実りの景色」から「海と船の景色」へ

きっと神戸の街中で、かつてのような実りのサインを日常的に目にすることはないのかもしれません。

けれど、今の私には、代わりに受け取っているものがあります。

ふとした瞬間に鼻をくすぐる、強い潮の香り。

太陽の光を浴びて、刻一刻と表情を変える明石海峡や淡路島、そこを通過する船の数々。

「庭のつくし」や「駐車場のドングリ」という、かつての当たり前と引き換えに、今の私はこの贅沢な海辺の空気を受け取っている。

そう思うと、これからの季節がさらに楽しみになりました。

まとめ

当たり前だったものがなくなる寂しさは、新しい豊かさと出会った証拠でもあります。

つくしの佃煮は食べられなくても、この海風を感じながら坂道を歩く時間は、今の私にとって何よりの癒やしです。

神戸での初めての春。

「海のある暮らし」ならではの新しい季節のサインを、一つひとつ見つけていきたいと思います。